自堕落なるままに日暮らし

全ての感想は備忘録

『12人の私と路地裏のセナ』 の余韻とその内訳

劇団6番シード『12人の私と路地裏のセナ』

はじめに

 とにかく、頭の中をレコードしたくて思うまま書きました。2週間かかった。まだ書き上がらない。思い出したら加筆したくなるのかもね。

今回は役と役者を同一視してる文章かも。
いつもなら役者の振る舞い(技術)と登場人物の行動は褒める方向性がちがうからと分けて書くところも、今回は気にせず全部ごちゃ混ぜ。


 全員に共通して言えることが一つ。
『第一声』で彼らのことを全部わかった。
彼らの言葉のチョイスもそうだけど、彼らは彼らの普通を既に生きてるから、全く助走なしの、決めに行ってない声なのに、聞いた瞬間にウワッて驚いた、全員に対して見事に。想像力は膨らんで膨らんで仕方なかったな、で、どうやったら止まると思う?



あと、あえてこうも断っておきます。
「どっちでもいい」
興味ないとか投げ出すって意味合いのそれじゃなくて、言葉通り。境界を明らかにする必要がある?今、目の前で繰り広げられてる会話が、現実でも思い出でも田島一人の妄想でも、どっちでもいい。裏設定はトークショーで聞いたけど、そこはそれ。少なくとも自分は、曖昧でも別にいい。

正解も答え合わせも要らないし、これは本当に自分のために残しておく心電図の波形の記録です。


《12の人格》

♡麗しの君…高橋明日香

 12人格のうちのひとつ。保護人格。30代くらいの女性。キビキビとした人格で、タップダンサーを叱咤激励しながら働かせている。


理性、正論、常識、あなたのためと叱るお母さんの小言、使命感、倫理観、存外にロマンチスト、意欲の尊重、豊かな生活への憧れ、普通から離れてしまうことへの恐れ、何か意味のあることをしていないといけないような気持ち。

「どうして交代したの?」
ここの諭し方で、なるほど現実かと。キビキビしたあの彼女よりも落ち着いてて凪いだ声。多少の呆れもあり。叱ってくれる人がいるって、叱られてるその時には気がつけないけど実はありがたいよね。叱るって励ましよりもやさしい行為。
「今日の仕事はアイスクリーム工場で不良品を弾く作業です。どなたか希望者は?」
高くて早口で、ほら急いで!感のある、教室で号令をかける朝から元気な学級委員長のそれ。一番最初はそういうお仕事ロボット的な役回り?とか勘繰ったりしたけど「寒いのは嫌」としっかり私情で仕事を拒否しててすぐに消えた。

「睡眠をとりなさい」
周りの人格たちの話とは方向性の違う投げかけに、思考の中枢というか危険信号の発信とか体全体の指揮をとっているのも彼女なのかなって。頭の片隅に過ぎることあるよね、もう寝なくちゃ…みたいなアラート。小腹がすいたからってこの時間に何か食べるのはよくないとか、毎日カップ麺じゃ体に悪いから自炊しないとな、的などこからともなくやってくるあの焦燥感。あれって微弱なストレスらしい。今度から彼女の声で脳内再生しよう。彼女の声は叫んでてもうるさくない。

「私、ここでは田島修のことを指します、私は、」
なんてまどろっこしい。しかし徐々にそれがクセになる。律儀。途中から「”私”は」って聞こえてたよ。

「猛省してください!!!」
どぉおおって彼女から男性陣に強風か衝撃波みたいの出てたと思う。あまりの剣幕に笑っちゃったよ。信じられない!わなわなと怒りに打ち震えてたの可愛かったな。けっこう足癖(口も)悪いのね。

「あなたは自分自身を愛することができますか?」
いい設問だよ本当に。哲学。自分を、自分のまま愛するってめちゃくちゃ難しい。
例えば。何か矛盾の起きる思考や新しい思想を、「そういう自分」として側面や一部、ときどき出ちゃう癖、などと多角サイコロのように見なすのではなく、それを「他者の思考」や「他者の得意分野」としてカテゴライズして、つまり別のサイコロが増えたとして距離を取ったのが田島修なのかもしれないよね。

初日は、街中で触れ合っただけの人物をよく自分の中に引き入れたな、愛が深くて寛容なんだなと思ったんだけど。
改めてこの設問に照らしてみると、待てよ、「自分」としては許容できなかったから、他の人に預かってもらっているのか?と。

あれは田島修の脳内シェアハウスだと思っているので、個室を12個ちゃんと用意してくれてる田島は十分に寛容だな〜と思いますがね。リビング(概念)で会議してるのも参加率気にしてる麗しの君もかわいい。


@羽根を持った靴子…平井麗奈

 12人格のうちのひとつ。羨望人格。タップダンスの師匠的な立ち位置で、彼とよくレッスンをしている。明るくさばさばした性格。20代女性。

嫌なことは嫌!やりたいことはやればいいし、やりたくない事はやらなくてよくない?踊ってる姿の軽やかさは、そんな当たり前であるはずの思想についても。

「スラップからの、トレイン」
たったワンステップで何回音が鳴った?!ってドラムロールにも似た響きのその足元を二度見。
タップの踵の音だけのはずなのに、何かフレーズのある音楽になって聞こえる。

ジェスチャーと靴音だけで、「ねぇ!ステージ立ってみなよ!」って訴えてくるの好きだったなあ。不満げ、焦れったい、急かすような音。
一足先にステージを踏んだ彼女の表情が途端にぱあっと明るくなって、楽しい楽しいって一音ごとに聞こえてくるみたいに弾んでた。

隣人さんのこと「下世話」って呼んでんだね。でも彼女がけっこうリズム感あって、靴子のステップすぐ真似して見せてたのを「ばっちり!」って嬉しそうだったのかわいい。仲良しか。靴磨きくんは壊滅的に体カチコチだったね。ケチャップくんははじめのうちはどうやんの?って寄ってきてたけど飽きちゃったかな。ああやってみんなにも教えてんのかな。

「そんな生ぬるいことでいいの?」
完全なる他者として田島を叱咤激励してくれるのが彼女、つまり姉御。誰も言えないならあたしが言うけどさあ!的な。

「自称路上アーティスト」
夢や意味のためにタップダンスをするとかじゃなくて、踏みたいから踏んでて踊りたいから踊ってる。そこに山があるから登るって言う登山家みたいな。ストイックとも違うね。言い訳でも慰めでもなく、きっと素直に。

なりたい姿。
たぶんだけど、彼女とは交代しない。人格として、住む部屋を作ってあるだけで、靴子とも靴磨き男とも交代しない、気がする。
「今日めっちゃ力持ちやん?!」というヤクザくんの例を考えると、靴子になれたら靴子と同じように踏めるはず。だけど「それは僕の意思じゃない」。ただし、レッスンのために一度交代して体に靴子のステップを覚えてもらって、ほら今のやってみて。はあるかもしれないけどさ。あくまで「先生」だもんね。憧れは理解から最も離れたところにあるって誰かが言ってた気がするし。



 交代頻度の話でいくと、隣人、スズメ、ケチャップ、金さんあたりはそれぞれの要素(得意分野)が濃縮還元されてるせいか"出てきちゃう"、田島は仕方なく譲る。邪悪さん、ヤクザくんあたりは武器や切り札だからピンチの時には彼らの意志で"出てやるか"。橋の上に立つ人は枠外で好き勝手(ジキルとハイドを想起した)、教授はただのBGM枠に近いけど、麗しの君と同じく必要とあらば”仕方ない”で来てくれそう。



♬ プロフェッサーK…小沢和之

 12人格のうちのひとつ。知育人格。自称大学教授。心理学の専門家。タップダンサーが人生に悩むとあまり効果的ではないアドバイスを送る。

彼だけが田島修を「彼」と言う。人格というよりも、耳に残って頭の中から離れなくなった音楽みたいな位置づけだと思う。
そうなりたい人物とも違うし、積極的に関わろうとする人物でもない。でも、塞ぎ込んでる時に通りすがりのヤクザくんを呼び起こした(来てくれた)みたいに、自分だけでは打破できない状況になった時、そうだ例えば、何か調べたい時に辞書を取り出してくる感覚に似てる。
「また教授か、クソ」
とテレビを切った。初日はこんなところでも邪険にされてるのかと思って笑ってしまったよ。こっちが先なんだね。しょっちゅうテレビで流れてくる声なら尚更、難しい講義(思考)なら教授ってすり込みもあるのかも。自分の状況を、自分の中にいながらにして主観にとらわれず外から一番客観的に見てくれる人。


「教授は黙ってて!」「教授は出てこなくていいから!」
ああはいはい、いやはや。邪険にされると、いやいやすまないね、つい、といった様子で笑って踵を返す。
「教授!ーーその通り!」
それが彼の常なんだろう。おじいちゃんムーブというかね、慣れた感じした。だから珍しく自分の話を肯定された時の、あの放心した顔がとても良かった。随分なかったんだね、その、肯定される機会。けっこう長いことフリーズしてたもん。

「教授の見解は…」
麗しの君を仮に天使、邪悪さんを反対の悪魔という位置に置くなら、教授は審判あるいは実況席に座っている解説者。意思決定には参加せず、主観の絡む橋の上に立つ人の処遇を決める会議にもいないよね。麗しの君が意見を乞うたりもしてたし、「学術的な観点でいえば」「それは私の領分」とも言ってたし、本当に辞典みたいな感じ。

とにかく彼のバリトンが最高。テレビの中なのに、チャンネルを回したら「私を呼んだかね」と言い出した時は、教育テレビのオフロスキーみたいなとっつきやすさで番組受け持ってるのか、それとも田島修にはそう聞こえたのか、どちらにせよすげーいい声してんなって感心してしまうよね。次の講義に向けて身だしなみ整えるところ、椅子に座って話してるだけで奥に控え室の鏡台が見えてくるからさすが。

「いい設問だ」
言われたい。言われたらガッツポーズしてしまうと思う。



△通りすがりのヤクザくん…藤堂瞬

 12人格のうちのひとつ。協力人格。見た目は強面だが、愛想のいいヤクザ。30代くらいの男性。タップダンサーが金に困ったら現れて金を貸す。


お金を貸すってどこから出してくんの?って人物紹介の時からずーっと思ってたけどなるほど。
「貸してやってもいいが、あとでどうなっても知らないぜ」
アウトローなセリフに聞こえるけど、根がやさしいの知ってるもんね。誰かに押し付けたりせず、引っ越しとかいつもより多めに仕事こなして返済してくれるんでしょ。意外と過保護?うちにも来ないかな。

ヤクザくんって呼ばれてるけどヤクザ感はゼロ。ビジュアル撮影時に誰かが言ってた「テキ屋のあんちゃん」って刷り込みがどうしても拭えず。ガキが近くにいるからとベランダに行くタイプの喫煙者であってほしい気持ちと、禁煙始めたからココアシガレットか棒付きのキャンディで紛らわしててほしい気持ちが鬩ぎ合います。気だるげだけど面倒見がよくて無精髭もちょっとお洒落に見えちゃう枯れた男前にはさ、夢見ちゃうよ。

「お前が欲しそうにしてたから、買ってやったんだぜ、タップシューズ」
この声のあたたかさには泣いてしまう。不安で眠れない夜にはヤクザくんの声を聞きたいとさえ。

「南通りの交差点」
彼がそう話を始めると、もう頭の中には彼らがいる世界を歩いている。街の風景、佇む靴磨きくんの彼、靴子の彼女の踵の音がスローモーションで耳に入ってきて、店の看板、ショーウィンドウ、その中のタップシューズへと吸い寄せられていくように見える。小説を読んでる時って文字を追いながらも目の奥や頭のちょっと上側に情景作って読んでいくんだけどそれと同じ感覚。

「ーーああ、留置所のコンクリートなんて最高だ」
この場面、止め処なく込み上げては涙になってしまったのでどこがどうよかったとか本気で書けない。既に思い出して泣いている。
「踏むんだ」って彼の言葉にズシッと重みが乗る。それをみんなが少しずつ出てきて後押ししてくれるもマジでいい。


「留置所で助けてくれたじゃないか」は確かにこの時のことだろう。
しかし「なんで助けちまったかなぁ」と車で男が話す時、それはこれ以外にもそんな出来事が現実であったにほかならない。内容や場所こそ違えど、ヤクザくんの彼には過去にそんな恩があるんだろう。
そりゃあ人格者たちのお兄ちゃんポジションにもなるわな。雀が寝てるかどうかを気にしてくれてて、すぐ目立ちたがるケチャップくんを宥めつつ、楽しい時はみんなと一緒に乗っかって。
背を丸めて、鉄砲玉なんてやる度胸「ないすね」と笑った彼よりも、大きくて力持ちで頼り甲斐のある男に見えるから。

「兄貴は、なんで助けたんですか」
これは照明の効果も相まっての二人の芝居について言うのですが、いつの間に車で撮影したんですか?と錯覚するような時間だったね。横たわる静けさ。客席の位置は右側からの視点しかないはずなのに、ヤクザくんの表情を正面からドアップで見てた気分。



$沈黙の金さん…鈴木智

12人格のうちのひとつ。嫌悪人格。早口でよく喋る。40代くらいの男性。交渉術や人心掌握が得意だと自分では思っている。

軽薄、胡散臭い、口から生まれた、床から足が数cm浮いてそうなほど軽い足取り。よくもまあそんなにお世辞がすらすら。その美辞麗句はどこから。

どうして彼が嫌悪人格なんだろうとは思った。
矢印の向きが逆だった。対象となるのは田島じゃなくて、金さんのほうが世の中を舐めてて、嫌悪してるから。
保護人格とか嫌いそう。名前を訂正されても「破壊野郎」などという物言いとかもあえてだな。人格者たちのこともさほど信用してないなコイツ。ヤクザくんとはビジネスパートナー?


「雄弁こそ金、雄弁こそカネ。俺はそう思うね」
渾身のええ声!沈黙は金、と言われるたびに「雄弁は銀、ってか?」と鼻で笑う。嗤う、って字のが似合いそう。特にここではメガネが白く光って目の奥が見えないイメージ。黙る、と相手の都合のいいように解釈されるし要はつけ込まれるし、喋るのはある意味で武装。反論の隙を、そもそも考える暇を与えなければ全部がこっち主導権で進められる。

「それでお前に頼みがあるんだけどな」
猫撫で声。あざとい。唇を突き出しても可愛くはないよ。

口説き文句はこうだ、お嬢さん月が綺麗ですね〜」
如何に他人事、野次馬なのかがよくわかる。日増しにおふざけが過ぎて千秋楽とかもはや赤ちゃん言葉だったの笑った。すかさずケチャップくんからないないないってアクションが入ります。


「キャンセルを!」
「やだ」
麗しの君から説教食らってる時にも自分のセリフ以外でも「そんなに怒らなくても」的なことずっとブツブツ言ってた。全く、反省する気ないな?
隣人からもバシバシいろんなところ叩かれて詰られるけど、いつかの回で椅子の足に思いっきり手ぶつけてて一人で痛がってるの見ちゃった。勢い、ってのはあらゆる物事において大切だけど、さすがに今回はまずかったね、大きなお金が絡む時は心臓に悪いから相談ぐらいしてください。はい反省!

「どれを剥がせば?」
ノッコと随分とアメリカンなハンドサインをしている時点で気がついてもよかった。結末まで見て、何度か俯瞰で見てようやく、ああ。と落ちた。どこでそんな仲良くなったの?実はカレー屋の常連なのかしら。


「泣いたってだめだよ」
引導を渡す、とまで強くはないけど、そっと橋の上に立つ人の前に歩み出てから手を挙げるの、明確な意思表示。兄さんが変わらないなら、もうこうするしかないんだぜ、わかってるだろ?そんな背中が見える。身内だからこそ手を放してやらないといけない時もある。

「お安い御用だ」
みんなの視線がそっちに向いたのが早いか、彼が呆れたように、あるいは本当におかしくて、ハッと息を吐いて天を仰いだのが早かったか。
ああも似てない兄弟がいるのかね、と思うほど育った先の性格は正反対に見えるけど、兄さんに肩を貸してやる時は弟の顔してた。


◾ ️ ケチャップ村田…浮谷泰史

12人格のうちのひとつ。友情人格。タップダンサーと一緒に労働に勤しむ30代男性。コメディアンになりたい夢を持つ。気さくでいいやつ。

友達。陽気、天邪鬼。ポジティブ。ヤンチャ坊主。クラスに一人は必ずいたお調子者。
気さくでいいやつ、って紹介文まんま!会議に飽きたり「異議なーし!」って万歳したりするのも解釈一致!
すぐ台の上に乗りたがるし、登場する時も全然普通に歩いてこない。落ち着きがない。
しょっちゅう靴子やヤクザくんにたしなめられてる。仲良さそう。田島の目の前で起きてることには敏感だけど、田島の心情そのものとか田島の今後にはあんまり興味なし。一貫して自分勝手。そう、友達ですから、そんなものです。

「働くってことはさ、その先に何か目標があるってことでしょ」
この場面はスターターとして最高。人格交代ってこういう感じで起きるんだ、っていう彼らの日常のイメージがしやすかった。ベルトコンベアー流れていきながら喋るから最初あんま内容入ってこなかったんだけどさ笑 それぐらいのライトさがよかった、気が楽で。あと、「俺こういうバイト好きなんだよね、コメディアンの下積みって感じで!」って何でも自分に都合いい感じで面白がってくれるのもいい。実はなかなか難しいと思っている。心に一人ケチャップ村田だよ。

「ステージに立ちたい。誰も見てくれない体育館裏じゃなくてさ!」
切ない。あんな顔するんだ。満足してない。夢がある。叶えたい。あの頃もそう思ってたのかな。
その人間らしい一面を見た時にぐっと切なくなっちゃったよ。「とある夫婦と一台のオンボロ洗濯機!」と今夜のジョークを披露せんとする彼の声、明瞭で真ん中飛んでく素直さがあってほーんと向いてるコメディアン。ずっと聞いてたい。ジョークの続きはいつ聞けるんだろうか。

田島一人しかしてない拍手を収めるところ、『星の王子さま』に出てくる自惚れ屋を思い出してとてもとてもかわいいなと思ってました。
「グッド・イブニング、エブリワン!」と言った時に田島が辺りを見てから首かしげてるのは、僕一人しかいないけど?って顔に書いてあるみたいだった。
「お前面白いからな」
その頃にはもう隣人さん、金さん、スズメちゃんは人格として入っていたと思われるけど、それを気味悪がらず面白がって個性や特技として認めてくれた、そういう子だったんだね。他の人たちの現実エピソードは、境界が曖昧というか延長線上でやったけど、「村田くん」とのそれは、思い出の回想シーンとして文脈から切り離されてたので、それまでは推測の域を出なかった他のヒントも肯定されて、いきなり物語が見やすくなったなという印象。

「悪くない」
満面の笑みでこれ!彼に限って照れ隠しってのも何だか違う気がするけど、「いい」とか「最高」なんかよりもずっといいし、「気に入った!」って言い切るよりも心に残る感じがするのは何でなのかな。


「お前が決めた芸名のおかげで今はこんな商売だよ」
これは技術の話ですけど、ホットドッグのマイム見た?!?!パンは給食に出てくるようなふわふわのコッペパンだといいな!手つきが全く違和感なくあまりにも背景に溶け込んでる。置いてあるケチャップやハニーマスタードのあの形の容器が見える!なんなら直前の新聞読んでる時のマイムからしていい。たたみ方でね、喋り方も相まって、ああおじさんになってんなぁ〜って笑
「グッドイブニング・エブリワン!」
ショーの開幕の挨拶に彼が出てきた時は、なぜか報われた気分になって泣いてしまった。ちっちゃくがんばれってしてるの、いいね。


オープニングに中央でセナが歌うとき、みんな驚いてこれは…!って彼女に視線が集まっているけれど、ケチャップくんは少しすると安心したように体の力を抜いて聞き入ってたり、邪悪さんの「街に還る」って言葉に何か自分の中で納得したのか何度も頷いてたりしていたの、好きでした。


@下世話な隣人さん…松本稽古

 12人格のうちのひとつ。保護人格。タップダンサーの隣の家に住んでるバツイチ女性。よくカレーを作ってくれる。

お茶目、チャーミング、軽やか、喜!怒!哀!楽!、何かあったときあの中で一番自分のことのように泣いて/喜んでくれそう、口出す愛、手出す愛、それから、カレー作る愛。お母さんだね。

「カレー冷めちゃうよ」
まず彼女のこの声で物語全体の予想を覆された気分に。おとぎ話っぽさが増したというか、現実から遠のいた。
アニメ化したら彼女は2頭身キャラです絶対。バーサーカーとまでは言わないけど、もっと話が通じないタイプかと思ってたから、話が進むにつれて一人の女性としての普通さが見えてきたし、バロメータみたいなものがあるとしたら“現実”の方に針が触れたなって。

「とっておきのレシピ教えてあげる」
横田先輩からしたら本当にびっくりだよね、いきなり田島がオネエ入ったみたいに見えただろうし。ジャワカレーとか家庭的なルー使ってると思ってたのに、ターメリックガラムマサラて。まさか粉から???例えば彼女が作ったカレーがその日(ちゃんと)美味しかったとしても、それをもう一度作ることは出来なさそう。
ハニーマスタードよ!」
蜂蜜はいってんじゃんと言われて、ガーンと音が出そうな驚き方してたのマジで可愛かったなぁ。『ガラスの仮面』でお馴染みの”恐ろしい子…!”と同じポーズの驚き方で大好き。


「下世話な隣人にできるのはこのぐらいだからね」
卑下しないでいいのにな。子供に気を遣わせたくないんだろね。私が好きでやってるんだから、ほら食べて食べて。
カレーを食べ始めるや泣いた田島を見た時に、『カルテット』というドラマで松たか子が「ご飯を食べながら泣いた経験のある人は大丈夫」というニュアンスのセリフを言っていたのを思い出していました。
「あなたの人生は、あなたのものよ」って、あらゆる作品でも何なら現実でだって普通にきく言葉だと思っているけど、それでも改めて、他人であるはずの自分のことを心配してけっこうな頻度でカレーを作って持ってきてくれる人から、頼れる大人が彼女しかいないかもしれない状況でその言葉を聞いたら、そりゃあ泣いちゃうよな。何もしなくても生きてていいよって言われたい時もある。

「お母さんカウンセリング頑張ったんだから」
駆け出していったスズメちゃんを案じる不安な顔と、お母さんの返答が聞こえてきてそれがゆっくりと安心に変わった笑顔が本当に優しくて。大事な場面ではそっとしておいてあげる、それも愛。



♤涙スズメ…真野未華

12人格のうちのひとつ。破壊人格。小学生ぐらいの女の子。普段は明るいが、暴力など辛い状況や環境を引き受ける役割が嫌になっている。

お菓子を選んでいる時のお声が全部好き。なんだか全部のセリフの言い方を真似したくなる。耳に残るし、欲しい音がする。空気が少ない感じというのか、マットな響きした声。かわいい。
おっきな目も。猫みたくふにゃりと笑ったりらんらんと光ってお菓子に注がれたり、今がどんなモードなのかよくわかる。かわいい。
「たまにしか出てこれないんだから、許してくだちゃい」
「メロンパンもいいな。おこづかい足りるかな」 このセリフの言い方が好きすぎる。かわいい。

虐待や精神的に過度なストレスに耐えきれなくなる=別の人格を形成して身を守る みたいなのがよく見る多重人格?と考えていたので、ヤクザに殴られてスズメが出てきたことには違和感はなく、むしろようやく本来の(?)人格交代を見た気分だった。
「僕ずっとここにいるから」
田島のこの言い方が他人事なのがちょっと気になって。身代わりにさせたのに謝らないんだ、みたいな(もちろん、主人格たる田島修が交代を全部コントロールできるわけではない、という前提条件を考えると謝罪は筋違いではあるけど)。でもここで、いつの間にかいつかの現実のエピソードに投影されていることに気がついて。この辺りは最後まで見てようやく得た自分の納得解。
「絆創膏はピンクベアーちゃんのやつにしてね」
泣いてる?と聞く声がわずかに、でも確かに伝わるぐらいに震えていてつらかった。アイス、絶対に奢ってもらいなね。


「迷ってる時間はない」
大きな目が揺らいで、魔が差して。照明の光を写してまるで炎でも見てるみたいにゆらゆら。彼女がそぉっとキャンディーに手を伸ばした時にはもう、橋の上に立つ人は手を離しているのに。「どちらにしようかな」とおやつを選んでいたルンルン気分からの、橋の上に立つ人の気配に気がついて振り返る時のあのホラー映画にも似た重圧、その落差にめちゃくちゃストレス値高まった。見てるだけのはずの自分がどっと疲れる。万引きも一種の自傷行為/強いストレスからの逃避だと考えているので、あの場で彼女がそれを跳ね除けるだけの手段もないし判断はできない、とわかったから余計に嫌だった。橋の上お前。

「ママ、おかえり」
意を決したように、うん、と頷く。おかえりと言う声にはやっぱり「大好き」がちゃんと詰まっている。




▼邪悪さん…椎名亜音

 12人格のうちのひとつ。破壊人格。ずる賢く頭が切れて邪悪な女性。麗しの君と仲が悪い。

麗しの君への敵視で否定のための否定(拮抗)があるのかもしれないけど、彼女の中にも矛盾や揺らぎが見える。
不安。ブレーキ。停滞。 危機察知能力。本当か?夢ばかり見てんな、現実わかってるか?綺麗事じゃ飯は食えない。最低限。無意味。努力なんてクソ喰らえ。(自己)嫌悪。不快。こんな苦しい思いをするぐらいなら別に無理に生きてなくてもいい。嫌い。嫌い。


「やめとけよ」
囁き。直前まで教授や麗しの君と一緒に笑い合ってたのに。多分あれは夢。現実はこっちだ。
「あれ、見てた?」
この声、この顔、悪くて超好き。目に影。牽制。人のせいにしないで。


「僕ねぇ、頭おかしいでしょお」
爪をいじくりながらヤクザ相手に平然と足組んで畳み掛ける。田島修には出来ないな 。
「僕の標的は近所の飼い猫です」
爛々と獲物を狙う目、じりじりと距離を詰める。
「今すぐ俺様を弾いてみろよいいぜ」
冷静な思考を奪う句読点なしの脅迫、そして「ビターちゃんをだ」暗示にも似た鳴き声でトドメだ。気持ち良い。

邪悪さんは一番、現実の彼女からは遠いというか、強い武器たるキャラクター。元の、という意味のオリジナルではなくて、彼が作り出したオリジナル感がある。もちろん、あの発作起こしてる彼女との会話の中で切り取った部分から派生しているけれど。

麗しの君と同じぐらい、田島修のこれからを気にしてくれている人物。別に好きで足引っ張ってんじゃない。
「私たちは役目を終えて、街に還る」
現実がこうでなければ、父親があなたじゃなければ、あなたがあなたでなければ、皮肉だが自分たちはいない。私たちがもう田島修の自我を精神を守ってやる必要もなくなる。


「死ぬな、それだけでいい」
嘘のない、なんの飾りもついてない、そんな言葉。
意識せずに文字を目に入れた時に流れてくる誰かの声みたいな声。
かっこよかったな、邪悪さん。


「ただいま」
知らないけど知ってる女の人の声がした。




〆靴磨き男…平野隆士

 12人格のうちのひとつ。羨望人格。タップダンサーのタップシューズを磨いてくれる人。寡黙だがタップダンサーの悩みをよく聞いてくれる。

彼がいてくれるだけで、許されてるような心地になった。彼と田島が話してる場面は時間がそこだけ時間がゆっくりしてた。
しゃがみ込んで目線を合わせて靴を置いてくれるところ。ため息が出た。休める、安心する、息がしやすいまである。
存在そのものに感謝すらしたかった。初日は特に、彼が何か言うだけで勝手に涙が出てきて自分でもびっくり。
シンプル。やさしい質感。ゆっくり。のんびり。静か。素朴。適当。息抜き。ハンモックのお昼寝が似合いそう。味方。夢の後押し。

「履いて。それでここ、座って」と言った声から、「いらっしゃい」で口調や佇まいが少々ラフになったので、なるほどそのまま現実でのエピソード(ここでは彼との初めまして)に移行したのかとわかった。イマジナリーな空間からいきなり外の風を感じた。靴磨き男として切り取られた面がたぶん憩いだから喋り方もどこかふんわりしていて、人間味という意味では薄かったけど、現実では一人で働く少年としての荒っぽさも見える。人格がBoyなら(田島修から見れば比較としてそう)、現実はGuyって感じ。
「一人がいい。それでときどき二人になる」 白い歯を見せて笑った顔がすてきだった。

「僕はこの靴を磨きたい」
オープニング、周りがいくら騒がしくしてても彼は、黙ってタップシューズをずっと見つめていた。

「僕たちだけで決めよう」
それまで、進行(意思決定/選択/議論)には口を出してこなかった彼が初めて。強張った表情に意志の固さを感じる。
靴=憧れ、夢の象徴。それを”踏む姿”が靴子なのであれば、彼の存在は靴そのもの、それ(夢)を笑わず大事にしてくれる人。
「もう靴は磨かなくていいの?」と迫ったあれは、悪夢。靴子の「捨てちゃうね?」は母親が片付けのできない子供に叱る時のような情けの感情も読み取れたけど、靴磨き男のそれは完全に悪夢。無表情のまま田島の顔を覗き込む彼の目はどこも見てない色してて怖かった。


「いいから足出して」
この幕の向こうにはもうお客さまがいるのよ、とオーナーに言われた時の緊張した面持ちとか、いつもより焦った手つきもよかった。だって、他の人の接客中だったのに通りかかった田島に「本番、今夜だろ。あとで磨きに行くよ」だなんて声かけちゃうぐらいには気にしててくれたの知ってるもん。今更マイムについて言及するんだけど、彼が靴磨いてるとそこに靴、見えるよね。
何も言わないでいてくれて本当にありがとう。



〓橋の上に立つ人…野口オリジナル

 12人格のうちのひとつ。破壊人格。男性。タップダンサーが絶大な信頼を寄せている人格者だが、あまり出会えない。
 
圧倒的な存在感。登場で空気を掌握する。緊張感を連れてくる。支配。深い、暗い、明るい声。
いつ爆発するかわからない地雷原の多い土地を思わせる。手がつけられない災害ほどに大きくも、喚いて愚図る子供ほどに小さくも見える。

目。歌うセナを見る彼の目。白目が光る。
弟の意思表示を受けて、そっと諦めたように嘆くように涙を堪えるように閉じた目。
橋から下を見る。自分をあなたと呼ぶ男を見下ろす。ぐいと首を回して覗き込む。あるいは頭だけゴトリと落ちそうな勢いで見た時も。

間。僕は、反対だ。
笑う。笑いが止まらない。目に入った他の奴らの顔を指さして嘲笑う、自分は間違ってなかった、自分を独りにして追い出そうとした奴らを出し抜いた、ざまあみろ。


行動原理。
恐怖、臆病、小心、自己防衛、自殺願望、攻撃。穴のあいた器。いくら水を注ごうが満たされない。制御できない。自己嫌悪、また自信を喪失する。足元が危うくなる。橋の上に立つ。彼が来てくれる。
突き放すのは、それでも自分のところに帰ってきてくれるかを試すため。
悪いことをさせるのは共犯関係による依存を望んでいる?
罵倒は盾。
夢の実現を阻止したいのは、自分のそばにあるべきはずのものが自分がいなくても何事か為せてしまうという離別への恐れ。
「僕のことをあなたって呼ぶな!」
お前は俺がいないとだめ(なはず)だろう。
「僕には僕が必要なんだ!」
必要とされたい。必要だって言ってほしい。


勝手な考えだけど、ああいうのって故意じゃない。あらゆることに対して。制御が効かないだけで。
大人しくしてればいいのに、あの状況で「金の亡者が身内気取りやがって」なんて言ってしまうのも弟を視界に入れた条件反射みたいなもの。
自らに手を挙げたのは、そこにいる全員から「いらない」と言われたことによる、どこか「やっぱり」って気持ちだと思う。一種の絶望を受け入れた瞬間。自らの状況と弱さを認めた瞬間。
そんなことないよ戻ってきてよを言われたいがための自殺衝動は、自己嫌悪と乾きにより他者からの屈託の無い「ここにいていいよ」って許しでしか回復し得ない。信じられないから、また。
でも、もうそれを言ってくれる人がどこにもいないとわかった時に、それが自らが招いた結果であっても、ほらやっぱり、と。わかってたよ俺だって。そんな涙かな。

「死ぬな、それだけでいい」
これで全部が報われることはきっとない。でも、ちょっと、ちょっとだけ、そうしてみてもいいかなと思えた、そういう声。
「チケットを、一枚」
ここは頭の中の話なのに現実に影響を与えたのか?現実でも似たようなエピソードがありその成功体験が会議に影響したのか?
そんなことはここではどうでもいい。とにかく、橋の上に立つ人あるいはお父さんはチケットを一枚買って、文句をぶつくさ垂れつつも観に来てくれているのです今夜のショーを。あの親子には、きっとそれだけでいい。


カーテンコール。ねえ本当に同じ人?未だにあんまり信じてない。




《現実世界の人々》

○横田先輩…中舘早紀

 現実社会で暮らしている独身女性。田島修のバイト先の上司だが本人もフリーターで底辺の暮らし。

彼女が指標だった。
暮らし向き、職場の環境、普通の感覚。
田島修は、現実の他者から見れば「田島修という名前の一人の男」である、ということを信じるためには、彼女の反応に懸かっていた。

「お前態度コロコロ変わんのな行ってもいいよ」
無愛想だしイライラしたら即ぶつけてくるけど、その分自分の外見をよく見せるために無駄な嘘はつかない。こういう人が一番優しいし、信用できる。
「態度デカいっすか?さーせん」
素直に謝りつつも実は開き直っている。気づいてなさそう。ダウナー入ってるというのだろうか、気だるさもやる気なさも隠してないけど不快感はない。まあ、仕事ってそんなもん。
「今日も一日がんばろー、おー」
ちゃんと唱和してるのかわいい。


「今日は甘党の日かー」
最初こそ何なんだコイツ?と思ってたけど、途中からいちいちツッコむのさえだるくなってきて、あーはいはいそういう感じね、と慣れてきた。
理由なんて聞いて長ったらしい説明とかされるほうがだりい。

「バカだよ、作業中に足滑らせて!」
ねえ怪我したから?それとも紹介した手前一人にできなかった?リハーサルにもついてきてくれるの優しい!ねえ優しいよ!

「おーおー迫真の演技だなぁ?」
人の練習風景って真面目に見てられなくない?特に知り合いの立つ舞台とか。観るぞって思ってその場にいないと、それこそ茶化さないと温度差で苦しめられていたたまれなくなる。
横田先輩のこの反応、いいよね。自分に言われているっていう選択肢を消しつつ(観客に収まる)も、ちゃんと急な演出の変更(橋の上の出現)に驚いてて。


「何急にキレてんだよクソが」
あんなふうに目の前で誰かが爆発的にキレ出したら、しかも男の人が掴みかかって怒鳴ってきたら、心臓バクバクいわせてしまうよね。つか、その後一緒に仕事するとか無理くないか?心どんだけ広いんだ。
「まだ奢ってもらってねえぞ、デラックスカツカレー」
貸し一つだかんな、ってやつ。かっこいいんだよな、とにかく。言ってみてぇ。

「死ぬほど緊張してトチれ」
"頑張れ"と書いて、こう読むんだよ。
ブザーで掻き消えたからイライラしてる訳じゃねえから覚えとけ。

一番、愛ある人だよね。
彼女と口癖が同じなんですけど、彼女みたく強くシンプルには生きられず、外見のための小さな嘘をついては自己嫌悪し、わざわざ面倒くさいことに手をつけては終わらなくて自分のバカさ加減に落ち込んだりする毎日です、そう今がそれ。
横田先輩、めちゃくちゃ重ねて見てしまった。
クソ、共感度が高ぇし、ああいう女になりてぇよ。


○木下五郎…オオダイラ隆生

 現実社会で暮らしているヤクザ。闇金の取り立て屋。

かっこよ〜〜〜〜〜〜〜!!!
ビジュアルからど好みで本当にもう!
さらに中身も"粋"ときたよ、仕方ない、これは恋。

「おう、姉ちゃん」
喉をガラつかせたような、低い声。おお、イメージしてた年齢+10歳ぐらい。喫煙シーンがこの世で一番好きな非喫煙者は、マイムの巧みさとそれに伴う間で、煙が立ち上る様に思いを馳せていました。フィルター部分が茶色の煙草がいいです。
「田島って男知らねぇか」
ハットの感じか持ち前の風貌か上品さはあれど、そもそも椅子に対して縦に座ってない感じが、お行儀ワルくて大変よろしい。

「田島」
ここはもう音楽の効果を思い知ったね。逃走劇はピンクパンサートムとジェリーかというコミカルさ。いきなり失われる威厳と緊張感。打ち付けた拳が痛そう。アニキ、冷静さを欠くと、けっこうバカになりますよね?言われません?あ、そう。


「ビター…?」
守るものができると人は弱くなるって誰か言ってなかった?みんな大好きここの顔。あからさまに狼狽えるの可愛すぎかよ。
 あれかねやっぱり。仕事が終わったら部下も顔見合わすレベルの速さでピューンと帰って(定時があるかはさておき)、玄関入る時もあたりをキョロキョロ警戒して、無事な顔見るといつもよりベタベタくっつこうとするから煙たがられたりしてんのかね。今日もつれない彼女、ほろ苦いなあ。
「モア、ビター?」なんて、よほどのトラウマじゃんか。そもそもバードウォッチング仲間てなんだよ。落ち着いてアニキ〜!


「タップダンスショーのスポンサーになったんだ」
いたずらっぽく軽くステップ踏んでみせたあの長い脚、革靴から結構いい音なっててさすが〜!
最初はもちろん、思い出すだけでほろ苦いあの子のためだったろうけど、それにしちゃあ随分とあの男に目かけてやってますよねアニキ?語尾に♪が見えるんですけど…


個人的には、彼の『濁』を見れたなあ、とビンゴを揃えた気持ちに。可愛い面いっぱい覗けたから怖さこそ薄れちゃうけど、あの治安の悪そうな街で裏稼業やれてるだけの重さと貫禄、迫力がありました。歳食うにつれ痩せてくタイプの男性いますよね?あれです。


○桐谷紀子…坂本実紅

 田島がよく行くカレーショップの女性店員。明るく面倒見の良い女の子。通称ノッコ。

あのねえ、めちゃくちゃ好き!!!
彼女が喋るだけで空気の明るさが2度ぐらい上がる。音楽流れてなくても聞こえるようだし、喋ってない時もちょこまかと動き回ってて見てるだけで楽しい。

「最後はキミだ…!」
カレーにコロッケ乗せて仕上げした時の、あ〜今日もカンペキ…!と思ってそうな声サイコー👏
自分の仕事にプライド持ってる感じ、堪らなく好き。凝り固まってるほうじゃなくて、楽しんで向上してくタイプの。今日のにんじんの切り方チョーうまくいったな〜とか、この隠し味思いついた人天才じゃない?私だった!とか作りながら常にニコニコしてる理由はたぶんこれ。もしくは素材そのものにも感謝してそう、君いい色してるね〜?ってトマトに話しかけたりさ。
「何ですか?田島さん!」
バイトなんで〜って一旦は謙遜してたけど、とっておきのレシピと言われて食いついてたし。期待を込めた眼差しから「ハニーマスタードよ!」で急激に冷えてくの笑っちゃった。


「オフ・ブロードウェイに立ったことがあるんだよ!」
ミュージカルスターのようにポーズ決めるところ可愛すぎでは?お掃除まったく集中してない。
チャップリン?の映画見たんだよ、レモンライム」
このドヤ顔。かわいい。こんなに決めにきてるのにあざとさ全く感じない。パッチワークのようなズボン、「可愛くない?!」って持ってきたところはギャル。そうか、わかったこの子は結構ギャル!小さなことに楽しさを感じ取れるタイプの陽キャはギャルです眩しい。


「文化祭みたいで楽しいじゃん?」
冷蔵庫から何かタッパー出して、足で扉閉めて…乗せてるの勝手に福神漬けだと思ってたけど、ベジカレー作ってる時にだけだったから野菜あとのせ系のカレーなのかも。マイムうま。



「今度はボクシング?」
劇場入りしてからの彼女とすばるさんのやり取り面白すぎた。専門用語の羅列についていけないうえにもともと天然なのも相まってずっとコントしてるみたい。照明を直に触るのは…と逡巡したあと、ポッケから鍋つかみ出してきた時の"ちょうどいいのがあった"な笑顔、最高。アッパーに狙って、って指示を素直に受け取りすぎね笑

「ブースは…あれか!」
あのハシゴ、のぼれるんか。ロフト入れてるし!覗き込んで上下で会話してるのマジでそれっぽい!
「真っ暗なった!えと…ええと…」
《橋の上に立つ人を引きずり出す作戦》進行中の大惨事も失敗しかけた大ピンチも、現実世界の目を通せば単なる田島の下手な歌のリハーサルなんだよなって。何も事情を知らない人の能天気さに救われることってある。


お団子ヘアがよく似合ってる。中野か下北沢か、サブカルっぽい街にありそうなお店。
彼女があの場に立ってると、狭くてこじんまりとしたエキゾチックな装飾のある店内と、よく分からない調味料がいっぱい並んでる棚、カーブの急な丸い焦げ茶色したカウンターが見えた。
でも机ってなかったんだっけ?椅子とマイムだけ?おかしいなあ…


夢咲すばる…宇田川美樹

 路地裏にある小さな劇場「スイング」の劇場主。オフブロードウェイに立ったことがあると豪語する元女優風の中年女性。

もっと、障壁になるかと思ってた。
何かこう、どうしてもピノキオに出てくる踊り子たちを働かせてる劇場支配人?を想像してしまってその先入観が大きいです。
「あなたの夢を応援するわ」
でも、あからさまに悪い人っていないものだね。特別大きなことをしようとせずともただ生きていくだけで現実は厳しく。それは他者から課せられる何かでなく、ほとんどが自分の中身との戦いであるんだと突きつけられる。彼女もまた、ある意味で田島修と全く同じ、人間だったから。


「もうリハーサル?気合い入ってるわね」
田島修が何をしても何を言っても笑わないでいてくれたのが嬉しかった。さすが劇場のオーナー。小屋なんてとんでもない。小さくてもお洒落で居心地のいい、ぬくもりのある劇場。
スタンダップ・コメディ?一人芝居?あれもなかなか面白かったけどね」
自分たちが見てるものとあの世界の中で見えてるものとの乖離が大きくなる。ステージの上での行いを練習や稽古だと捉えてくれるの、そのある種の能天気さがありがたくもあり残酷でもある。


「あなたの代わりに契約書にサインした人、名前なんだっけ」
この時にはもう、田島の状況を理解してくれてるんだ(説明があって飲んでくれたんだ)…と感じました。彼女にはもちろん信じるにたる材料を持っていたからだとは思うけど、世界って思ったよりやさしいな〜って。

「それがあの子にとっての、いいえ、あたしにとってかもね、救済になるのかな」
自分のためだ、と隠さないところが大人でカッコイイって心底。ポスターの件でもそうだった。あの子のため、って言ってるうちはきっと逃げで、でもそのほうが気持ちいいから、彼女はもうちゃんと割り切っている。




路地裏のセナ…エリザベス・マリー

 田島が路地裏で出会った女性。年齢不詳な感じで少女にも大人の女性にも見える。家出少女風の風貌。よく笑いよく泣く。

「12人の私と」
踵を鳴らす音。
「路地裏のセナ」
なんて、すてきな声だろう。浮かび上がるような、鈴が鳴ったような、遠いような近いような、不思議な印象の響き。これを表すための適切な言葉を持たないから恥ずかしいぐらい月並みなことしか出てこないけれど。まず絵本の扉を開けてくれたのは彼女のこのタイトルコールだった。

見た目の儚さ、フランス人形のような調和、透明感、つかみどころのない感じ。これらを覆す中身の躍動。動き出すと途端に”綺麗”が弾けて”かわいい”や”あどけない”になる。その少女性の強さ、感情の起伏が激しくてビビッド!リアクション自体は日本人っぽいというか現代っ子、眉毛の動き方のせいかときどき絵文字みたいな顔になる😫😆


「歌にしよう」
英語っぽい歌。ゆら〜と優雅に踊り出したはずが途中から焚き火の周りで踊り狂うインディアンの儀式のような摩訶不思議なダンスになってて毎回笑わされた…!ダンスのアドリブってなに?笑
田島に見られて、その大きな万歳がしゅーんと萎んで打ちひしがれてるのも可愛かったけど、千秋楽ではもう気にせず最後まで決め切って、フィナーレの拍手もらってたのも楽しかった。


「私は、セナ」
何でも簡単にできちゃう子じゃない。努力で輝き方を覚えていく普通の女の子の顔してた。すばるさんの手を取って台からおろしてもらうところ、微笑ましい。
カーテンコールで必ずすばるさんの手を引いてはけてたのも見てた。泣いちゃうじゃないか。


「Am I inside of you?」
あの歌。山の頂上をどこに持ってくるかで同じ歌詞でも印象がまるでちがう。彼女のクレッシェンドに合わせて照明の光が下からうわあっと強くなると、心もそれに引っ張られるのかうわあっと込み上げてきて結構泣いた。

「特等席だね!」
眩しい。「あなただけの音色」そう力強く言ってくれたのが嬉しかった。



♣ ︎ タップダンサー…樋口靖洋

 この物語の主人公。無名のタップダンサー。名前を田島修(たじまおさむ)。12の人格を持っていて、その主人格である。日雇労働者


彼じゃなきゃあの作品の主人公たりえなかった。
「僕の人生に意味なんてない」
そう自虐的に言ってしまえる憂いと心許なさを背負っている。俯いて、自分の足先ばかり見る。哀愁。悲愴。諦め(小)、抵抗(シューズ)、現実逃避(練習)。


「もうやめよう、お父さん」
切ない、思わずぎゅっと顔をしかめたくなる声だった。彼と彼の今までに何があるか察するに余りある。それでも、探したかったんだね。


「クソみたいな人生に虹がかかるかもしれない」
タップシューズを見つめて、胸に抱えて走って、ちょっとずつちょっとずつ表情に力が漲ってくる感じ。ああ、泣いちゃう。応援してるよ。


「ニックネームをつけると親近感が湧くでしょ」
目を見てゆっくりと。あなたがカウンセラーか?
落ち着き払って事実と気持ちを分けて噛み砕いて。そりゃあ名前、気に入ってもらえるよ。


「一人はいいよなぁ」
どっと吐き出す本音。けっこう長いこと、一人にしてもらえてないからね。そういえば、今の田島があんなふうに笑うのって、磨いてもらってる時だけじゃなかったかな。
「よし」練習にも身が入る、そんな声。靴を磨いてもらったあとは表情もぴかってしてる。


「練習の邪魔だからどっか行って」
シッシッと払うおててが可愛い。


「今夜だろ?あとで磨きに行くよ」
「バッカみたいだけど最高じゃん」
嬉しかった。無謀かもしれなくても、最初は自分の意思じゃないって言い訳して逃げ道作ってたけど、自分の、何者でもない「僕」のタップ、見てもらえるって!


「村田くんに、ケチャップ村田に頼みがあるんだ」
すっごいドキドキしちゃった!ラストスパートというのか最後にもう一段加速がついた気がした。

「僕は口下手だから」
晴れやかで、軽やかで、ちょっと不格好で。
笑うのがあんまり得意そうじゃない笑顔。
タップダンスの音を聞いてる間は何も考えなかった。ただ音を聞いていたら、浮かばなかった。
気づいたら暗くなってくステージに彼一人、彼一人だけの靴音で終わるから良かった。



余韻

 初日終わって、劇場を出た時、ふわふわした頭に何の言葉も浮かべたくなくて、ただ見た光景を反芻しながら歩いてた。そしたら真後ろの2人組が感想をお喋りしてるから、これはやばい!って走って逃げた。

もったいなくて。
いつもは忘れたくないことだけでもすぐに書き留めるんだけど、言葉にして形を決めちゃうには窮屈なほどいっぱいいろんなことが浮かんできた。まだこの溢れてどうしようもない余韻にひったひたに浸っていたかった。誰かの感想で形ができちゃうのも嫌で、しばらくタグ検索もしなかった。

後日その話を後輩にしたら「『花束みたいな恋をした』の有村架純ですね」って笑われた。この余韻は私だけのものだから、と映画を見終わるや一人で部屋に引きこもるらしいな。そうそう、それ。


 賛否が分かれるんだ、というのは中日も過ぎて余裕ができた頃、タグで検索していろんな人の感想に触れてわかった。
確かに、とても見る側のコンディションに左右される。
これまでの人生経験、人間関係、思考、共感度、演劇には何を求めていて、今はどんな環境に身を置いていて今日はどんな気分でそこに座るか。他の演劇でもそうかもしれないけど、この作品はその振れ幅が大きそう。

現に、一緒に観た友人と話していたら、自分は「絶望を受け入れた」と捉えた場面を彼女は「弱さから迎合した?」と見ていたし、それぞれの受け取った物の違いに驚き、それもまた観劇の醍醐味だよな!と。


宝物

この作品はエンタメとは正反対
作り手の「こう見せたい!」に呼応して、高い打点で確実に感動を得られるのがエンタメだとしたら、この作品は受け取り手の想像力(と創造力)に全幅の信頼が置かれていて常に「どう見えた?」と投げかけられる。

きっと、それが感動でも共感でも疑問でも嫌悪でも、観て感じた事実をこそ良しとしてくれる。終わってから何も残らずとも、見てる間に一瞬でも起きたかもしれないその起伏をこそ大事に思ってくれる。そういう懐の深さを(勝手に)感じた。

ご覧の通り、自分は想像力をゴリッゴリに刺激されて、2週間つかっても書ききれないほどのものを持ち込んでしまった訳だけど、作家含め登場人物たちは「重たい」「深読みし過ぎ」と呆れながらも、本心からバカにはすまいと分かっている。

「僕はこの靴を磨きたい」
これが一番好きだ。
好きなものは好きなままでいていい。


この作品、宝物にします。